東京地方裁判所 昭和37年(ワ)610号 判決
東京都北多摩郡久留米町大字前沢一八六番地
原告
小寺哲主
(ほか二十一名)
右訴訟代理人弁護士
菅原裕
同
山田直大
同
中村弥三次
同
常盤敏太
同
磯村義利
同
山本晁夫
同
竹内桃太郎
同
大島重夫
同都同郡同町同字五九六番地
被告
松本金次郎
ほか七十三名
右訴訟代理人弁護士
滝口稔
右被告ら補助参加人
国
右代表者法務大臣
賀屋興宣
右指定代理人法務事務官
板井俊雄
右同
藤井康夫
同農林事務官
田中瑞穂
右同
君島一郎
同小作主事
石田弘
主文
原告らの請求は、いずれもこれを棄却する。
訴訟費用は、原告らの負担とする。
事実
(当事者の申立)
第一原告ら訴訟代理人は、次のような判決並びに仮執行の宣言を求めた。
一、別紙当事者目録記載の各被告は、それぞれ同目録記載の各原告(当事者目録の単一番号のなかに複数の原告があるものについては、各原告ら)に対し、別紙「計数目録」(四)欄記載の各金額及びこれに対する昭和三七年二月一五日から右支払いずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二、訴訟費用は、被告らの負担とする。
第二被告ら訴訟代理人は、主文同旨の判決を求めた。
(当事者の主張)
第一原告ら訴訟代理人は、請求の原因として次のとおり述べた。
一、別紙買収目録の「買収物件」欄記載の土地は、もと同目録「被買収者」欄記載の者の所有であつたが、同目録「買収時期」欄記載の各年、月、日に自作農創設特別措置法(以下単に自創法という。)第三条の規定により国に買収され、(同目録番号11、12の物件の被買収者は、それぞれ原告住吉敏夫の母フク及び原告小沢文世の母フジ子名義となつているが、同原告らは、当時家督相続により右各物件の所有者であつたから、真実の被買収者は同原告らである。)、同目録「買収物件の分合筆」欄記載の分合筆を経た。なお、同目録の「被買収者」「死亡時期」及び「相続人」欄に記載のあるものについては、被買収者は右「死亡時期」欄記載の年月日に死亡し、「相続人」欄記載の者がこれを相続した。
そして、右買収後、国は別紙目録記載のごとく、同法第一六条(但し、同目録番号8、き、く、こ、については農地法第三六条)に基づいて売渡処分をなし、その所有権移転登記手続をした。その後右物件は、別紙売渡の異動目録の「売渡物件の分合筆」欄記載のごとく分合筆され、かつ同目録「所有権の移転」「移転物件」欄記載の物件については、同目録「原因」欄記載の原因に基づいて同目録「所有権取得者」欄記載の者に所有権が移転し、その登記手続がなされた。ところが、被告ら又はその被相続人ら(売渡後の異動目録番号5の五行目、同6の三行目の物件については、被告志賀トミ同哲夫、同トシ子、同千鶴子、同芳江の被相続人志賀菊次が、同7の三行目の物件については、被告岸ナカ、同岸敏夫、同春夫、同利夫、金子タミ、清水トミ、強矢ヨシの被相続人岸七次郎)は、右のような経過で自己の所有となつた売渡後の異動目録の「転用転売契約」「契約物件」欄記載の各物件(以下本件土地という。)を、農地法第五条に基づく農林大臣の許可を得ることを停止条件として同目録「転用転売契約」「代金」欄記載の代金をもつて、訴外日本住宅公団に売り渡す契約を、同目録「契約時期」欄記載の年月日に締結し、同住宅公団のため所有権移転請求権保全の仮登記手続をした上、すでにその代金の九割を受領した。そして、そのころ農地法第五条に基づき農林大臣に対し、右宅地転用を目的とする所有権移転の許可申請をなし、同大臣からその内諾を得たので、近く右許可があることは確実であり、現在本件土地はすでに実質的には宅地に転用されている状態にある。なお、右売買契約後、同目録番号5の五行目、同6の三行目の物件の所有者である志賀菊治及び同7の三行目の物件の所有者である岸七次郎は、いずれも死亡し、別紙転用転売後の相続目録のごとく、同目録「相続人」欄記載の各被告らが相続した。
二、しかしながら、被告らの右売買代金の取得は、次に述べるごとく、法律上の原因なくして原告らの財産により不当に利益を得、原告らに対し同額の損失を与えたものというべきである。
すなわち、自創法ないし農地法は、自作農を急速かつ広汎に創設し、土地の農業上の利用を増進し、もつて耕作者の地位の安定と、農業生産力の増進を図ることを目的とし、政府が旧所有者から農地を強制的に買収した上、これを小作農その他命令で定める者で自作農として農業に精進する見込のあるものに売り渡すべきことを定めているのであるから、同法に基づく農地の買収は、その対象となる土地が将来とも農地としての機能と性質(農地適格性)を保有し、耕作者の地位の安定と農業生産力の増進のために用いられることをもつて、その存続の要件とするものであつて、これらの条件を具備しなくなつたときは、農地買収制度の趣旨からして、買収農地の所有権は当然に旧所有者に復帰するものと解すべきである。すなわち、自創法ないし農地法に基づく農地の買収処分は、買収土地が農地としての適格性を失うことを解除条件とする行政処分であつて、買収農地の売渡処分も同様に、被売渡人が売渡しを受けた農地を、農耕以外の目的に使用し、農地としての適格性を失わしめることをもつて解除条件とする公法上の契約であるというべきである。このことは、その根拠を憲法第二九条に求めることができる。(憲法第二九条第三項は「私有財産は、正当な補償の下にこれを公共のために用いることができる」旨規定しているが、これは積極的には、一定の公共目的の達成のために、国は正当な補償を条件として国民の私有財産を公収することができることを示すとともに、消極的には、公共目的のためにするほかは、国民はその私有財産を公収されることがないことの保障を意味し、したがつて、私有財産に加えた公収処分も、その公収目的(公共の利益のための必要)の存続することを存続の条件とし、反対にかかる公収目的を喪失することをもつて解除条件とすることを保障するものでなければならない。)もちろん、農地法第四条及び第五条は、農地の宅地転用を原則として禁止しながらも、ある場合には都道府県知事又は農林大臣の許可を受けることを条件としてその転用を認めているが、右のような憲法第二九条第三項の精神からすると、少くとも自創法又は農地法による「創設農地」については、その転用を許可することができないものというべきである。ゆえに自創法の下ではかかる創設農地の転用は全面的に禁止されていたのであるが、その精神は今日農地法の上にうけつがれているのである。したがつて、もし創設農地を宅地等に転用しようとする者がある場合には、それはすでに創設農地の取得者らが耕作の意思を放棄し、当該農地から、その耕作地としての機能と性質を全面的に奪うものであるから、その買収処分及び売渡契約に附着している解除条件は成就し、該農地の所有権は当然に旧所有者に復帰するものと解すべきである。
また、自創法ないし農地法に基づく買収及び売渡しにおける所有権の移転は、通常の権利移転ではなく、信託的譲渡とみるべきものである。すなわち、旧所有者は、自作農の創設、土地の農業上の利用増進という前記目的から買収農地を農地として使用し、耕作する目的のためにのみ国に対して自己の土地を信託的に譲渡したものであり、国はさらにこの地を農地として使用耕作させる目的のためにのみ被売渡人に信託的に譲渡したものである。その意味において、買収処分においては、被買収者が信託者で、国が受託者であり、売渡契約においては、国が信託者で被売渡人が受託者であるが、かかる信託的譲渡は、自作農の創設、農業生産力の増進という公共の福祉のために行われるものであるから公共信託(信託法第六六条以下)の場合と同様な信託関係にあるもの、すなわち一般公衆がその受益者であると解すべきである。このように農地の買収及び売渡は、旧地主対被売渡人間の信託関係を基礎とする信託的譲渡の関係にあるから、当該農地が宅地となり、農地としての適格性を失えば、信託関係は、その目的上、消滅し、原信託者である被買収者が全面的にその土地に対する所有権を回復するものといわなければならない。
しかるに本件土地の売渡しを受けた被告ら又はその被相続人らは、前述のように、本件土地の耕作の意思を放棄し、これを宅地にする目的をもつて住宅公団に高額の代金で売却し、農地法第五条に基づいて農林大臣に対し宅地転用を目的とする所有権移転の許可申請をなし、近くその許可があることは確実であつて、本件土地はすでに実質的には宅地に転用された状態になつているのであるから、前記解除条件の成就ないし信託目的の喪失により、本件土地の所有権は原告らに復帰したものというべきである。
したがつて、被告ら及びその被相続人らは、すでにその所有権が原告らに復帰した本件土地を住宅公団に売却したことになるが、原告らは諸般の事情を考慮して、本訴において右売買に同意する。しかしながら、同人らの右売買代金の取得は、法律上の原因がなく、被告らは原告らの財産によつて利益を受け、それによつて、原告らに対し同額の本件土地所有権の喪失と云う損失を及ぼしたものであるから、原告らは被告らに対し、不当利得の返還請求権に基づき、被告らが取得した別紙計数目録(一)らん記載の転用転売代金又はその相続分から、同目録(二)欄記載の本件土地売渡し対価又はその相続分比例額を差し引いた残額、すなわち同目録(四)欄記載の金額及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和三七年二月一五日から右支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
三、仮に、右主張が認められないとしても、そもそも不当利得の制度は、形式的、一般的には正当視せられる財産的価値の移動が実質的、相対的には正当にあらずまた公平に反すると認められる場合に、公平の理念にしたがつてその矛盾の調節を試みる制度であるところ、本件においては、すでに被告らが本件土地を農地として耕作することをやめ、宅地にするために他に転売してしまつた以上、自創法施行当時予期された出捐(買収目録被買収者欄記載の者が本件各土地を買収されたこと)の原因ないし目的は不到達に終り、又は消滅したものとして、本件各土地の交換価値中少くとも農地としての価値を超える部分(以下「超過価値」という。)については、それが原告らより被告らに移動することを正当視するだけの公平の理念からみた実質的、相対的な理由がなくなつたものというべきである。すなわち、被告らが本件各土地を農地として使用している間は、右超過価値は、単に潜在的なものとして眠つていた形であつたが、転用転売により超過価値として顕在的なものとなり、それとともに、被告らがこれを取得保持する法律上の原因がなくなつたのである。
また、自創法による農地買収の対価として交付された金額は、当該農地が農地たる性質を永久に保有することを前提として、農地としての収益を算定し決定されたものであつて、宅地に転用される可能性は自創法の立法ないし施行当時全く考慮されて居らず、宅地としての潜在(交換)価値――農地としての交換価値よりはるかに大である――は無視され、被買収者に対し対価の交付がないのであるから、この部分の潜在的価値は買収後も依然として旧所有者に属し、被買収土地が宅地に転用されたときに、この潜在価値が顕在価値になるものとみなければならない。すなわち、自創法による農地買収は、農地としての利用権を旧地主より奪つたものであり、宅地としての利用権を奪つたものではないから、同一の土地について、転用前は、旧地主は宅地としての潜在利用権を有し、政府から売渡しをうけた者は、農地としての顕在利用権を有するものであつて買収農地については全面的な権利を有する所有者を考えることはできない。そして、右買収農地が、宅地となつた場合に両者の関係をどうみるかは問題であるが、この場合には旧所有者の権利は顕在利用権となり、転用前の地主のように表面上も所有者として扱われ、現地主の農地としての利用権は潜在利用権となり、転用前の旧所有者のごとく表面に表われない眠れる権利者となると考えられる。そして、この土地が将来再び農地となることはほとんど考えられないから、将来とも現地主の権利はほとんど消滅するものと考えるべきである。あるいは、現地主が農地としての価値、旧地主がそれを超過する部分の価値の割合により、両名の共有となると考えることもできるのであるが、この場合には、農地を宅地にして転売するについては、旧地主の同意を要することになる。原告らは、前述のように諸般の状況を考慮して本件土地の転用転売に同意するものであるが、右のように宅地としての価値と、農地としての価値の差額は、旧地主の権利として原告らに属していたものであるから、被告らが右転売代金全部を取得することは不当利得というべきである。したがつて、被告らは、右代金より農地としての価値を差し引いた残額を原告らに返還すべきものであるが、農地としての価値は政府の買収価格に物価指数を乗じたものであつて、これを本件土地について考えると、本件土地の買収価格又はその相続分比例額は別紙計数目録(二)記載のとおりであり、日銀卸売物価指数は、昭和九年ないし昭和一一年を一〇〇とした場合昭和二二年又び二三年(本件買収当時)は、それぞれ、四、八一五及び一二、七九二であり、昭和三六年(転売当時)は三六、八四一であるから、本件土地の農地としての価値は、同目録(三)欄記載のとおりである。よつて、原告らは被告らに対し、不当利得の返還請求権に基づき、同目録(一)欄記載の本件土地の売買代金又はその相続分から、同目録(三)欄記載の金額を差し引いた同目録(五)欄記載の金額及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和三七年二月一五日より右支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
四、仮に、右主張が認められないとしても、被告ら又はその相続人らは、原告らの有する優先買受権もしくはその期待権を排除して本件土地を転用転売して不当に利益を得、原告らに同額の価値ある優先買受権もしくはその期待権の喪失という損失を及ぼしたものであるから、被告らの右売買代金の取得は不当利得に当るものというべきである。
すなわち、自創法第二八条第一項は、買収農地の売渡しを受けた者又はその承継人が、当該農地についての自作をやめようとするときは、政府はこれを買い取ることを申し入れなければならないと規定しており、さらに同条第二項は、右買取りの申入れがあつたときは、その時において申入れに定めた条件によつて当該農地の売買が成立する旨規定している。したがつて、買収農地の売渡しをうけた者が、自作をやめようとするときは、政府による強制買戻しを忍従しなければならないと同時に、もはやこれを他に転用したり、転売したりすることができない拘束をうけるのであるが、さらに同条第三項によると、政府は右買戻しによつて、農地を取得したときは、命令で定める場合を除き、遅滞なくこれを自作農として精進する見込みのある者に売り渡さなければならない旨規定している。そして、同条の趣旨は、農地法第一五条に引きつがれているのであるが、これらの規定は、いずれも創設農地の適正な運営を規律する基本的な規定であり、それに基づく政府の先買権は、創設農地について自作をやめようとし、あるいはやめた場合に、当該農地が他の目的のために転用転売されることを防いで、これを創設農地本来の目的に使用し、もしくは政府の手に保管しておこうとするものにほかならないのである。なるほど、農地法第一五条第一項は、自創法第一六条第一項等によつて売り渡した農地等を「その所有者及びその世帯員以外の者が耕作又は事業に供したとき」において、政府がこれを買収するというにすぎないのであるが、すでに創設農地の所有者及びその世帯員以外の者が耕作し又は養畜の事業に用いてすら政府の先買権が生ずるとするならば、もちろん解釈として、所有者又はその世帯員以外の者が耕作をやめようとし、あるいはやめた場合にはなおさら政府の先買権が発生するものと解せざるを得ないのである。
そして、以上のことは、公権力の行使一般を支配する信義誠実の原則に照らしてもきわめて明瞭である。すなわち信義誠実の原則は、私法の分野ばかりでなく、公法殊に行政法の分野においてもその適用があるものと解すべきものであるから、本件のごとく、自作農創設制度の実施過程においても、行政庁は常に信義に従い誠実にその権限を行使するように努めなければならず、わけても先行の行政処分に対する国民の信頼と期待を裏切つてはならない。そして、立法者もまたかかる農地関係立法のごとく国民の権利剥奪処分を伴う制度の創設改廃をするに際しては、わけても厳しく信義則の要請に服してその権限を行使しなければならないことはいうまでもない。前述のように、創設農地は、自作農の創設ないし農業生産力の増進という公共目的のために、旧地主から強制的に買収したものであるから、政府は、あくまでその目的にしたがい、農業上の用途にのみ土地を使用すべき筋合いであり、もし、これを農地として使用することが必要でないとしても、他の目的への転用を適当と認めるに至つたならば、当該農地については、すべて買収の本来的理由がなかつたことに帰着するのであるから、該土地を被売渡人から買い戻して旧所有者に返還することが、まず信義則の要請である。したがつて、農地法第四条、第五条に基づく農地の転用、転売に関する許可のごときも、信義則に違反しない限りにおいてのみ、これをなしうるものというべきであるから、万一公益上、創設農地の転用転売の必要があると認められる場合においても、かかる許可をしないことが法意というべきであり、このような場合には、政府は、同法第一五条第一項、第一六条、第八〇条等の規定を類推解釈して、耕作者より土地を買い戻した上これを旧所有者に返還すべきである。土地収用法第一〇六条は、収用された土地が収用の時期から一五年以内に事業の廃止、変更その他の理由で不必要となつたときは、該土地が不用となつた時から五年又は収用の時期から一五年のいずれか遅い時期までに、旧所有者による買受けの申込があつたときは、これの売渡しをしなければならないと規定しているが右規定はあくまでも目的買収の建前を崩さず、収用物件が不用になつても、一定年限まではこれを他に転用することを許さず、旧所有者に優先買受権を認めたものであつて、土地収用又は買収制度における信義則の要請の最も忠実な表現にほかならない。したがつて自創法ないし農地法等の関係においても、かかる土地収用法の正理を類推し、創設農地が転用転売された場合には、旧所有者がその優先買受権を取得するものと解するのが相当である。
しかして、農地法第八〇条第一項は、「農林大臣は第七八条第一項の規定により管理する土地、立木、又は権利について政令で定めるところにより自作農の創設又は土地の農業上の利用の増進の目的に供しないことを相当と認めたときは、政令で定めるところにより、これを売り払い又はその所管換え若しくは所属替えをすることができる」と規定し、さらに第二項は「農林大臣は前項の規定により売り払い又は所管換え若しくは所属替えをすることができる土地、立木、工作物、又は権利が、第九条、第一四条、第四四条の規定により買収したものであるときは、政令で定める場合を除き、その土地、立木、工作物又は権利を、その買収前の所有者又はその一般承継人に売り払わなければならない」旨規定しているが、右は買収にかかる農地等が同条所定の要件を具備するに至つたときは、原則としてこれを旧所有者又はその一般承継人に売り払うべきことを政府に義務づけたものであるから、旧所有者又はその一般承継人は、かかる農地等の優先買受権、少くともその期待権を有するものと解すべきである。したがつて、本件のごとく、同法第五条に基づく農林大臣の許可を停止条件として創設農地を転売し、宅地化したような場合においては、かかる転用転売の許可を与える筋合のものではないから、政府は同法第一五条及び第八〇条によつてこれを被売渡人より買収し、旧所有者又はその一般承継人に優先買受けの機会を与えなければならないのである。
しかるところ、被告ら又はその被相続人らは、原告らの右優先買受権を排除して本件土地を住宅公団に売却し、その代金を取得したものであるが、前述のような理由により、同人らはすでに本件土地を自由に処分し得る地位にはなく、むしろ国の強制買収に応ずべき拘束状態にあり、やがてそれは優先買受けによつて原告らの所有に帰すべき関係にあつたのである。原告らは諸般の事情を考慮して本訴において、右売買に同意するものであるが、公平の見地からみて、右売却による利益を被告らに保留せしめる正当な理由もしくは権限はなく、被告らが現に右売却により得た利益すなわち、本件土地の売買代金又は転用転売契約後の相続目録に記載のあるものについては、同目録「転用転売代金相続分」欄記載の金額のうち、政府が被告らより本件土地を買収したと想定した場合の買収価格相当額(これは原告らが政府から優先買受けする場合の買受価格に等しい。)を差し引いた残額、すなわち別紙計数目録欄記載の金額は、原告らが優先買受権によつて当然取得すべかりし財産(本件土地)を原告らに取得せしめることなく、被告らに留保して利益をうけ、それによつて原告らに対し同額の優先買受権の喪失という損失を被らしめたものであるから、不当利得の返還請求権に基づき、二と同じく請求の趣旨記載のとおりの判決を求める。
五、仮に、以上の主張が理由がないとしても、創設農地の売渡しを受けた者がこれを宅地に転用転売し、その全利得を私することは到底条理の許さないところであり、そのため創設農地の宅地への転用転売については、自然発生的に旧地主の同意を得なければならないとの理念を生じ、ほとんどの農業委員会において、旧地主の同意ある申請に限りこれを許しているのであつて、この場合旧地主は相当額のはんこ料(同意の対価)を得て同意している。
そして現在では、旧地主の同意なき限り転用転売が許すべからざるものであることは、法的確信の程度に達しているのであり、仮に法的確信の程度に達していないものとしても、事実たる慣習として存在しているのであつて、原告ら及び被告らは右慣習による意思を有するものである。
したがつて、原告らの同意のない本件土地の転用転売は右慣習法もしくは事実たる慣習により無効というべきであるが、原告らは本訴において右転用転売契約に同意するものである。よつて、被告らは、原告らの右同意に対する対価を支払うべき義務があるが、その額は正義公平の見地から、売買代金又はその相続分の八割が相当であるから、原告らは被告らに対し右相当額の支払いを求める。
第二、被告ら訴訟代理人は、請求原因に対する答弁及び主張として次のとおり述べた。
一、原告ら主張の一の事実は認める。(ただし、買収目録番号13(イ)「地積一反二畝一〇歩」とあるのは「一反二三歩」が正しい。)
二、原告らの二の主張は争う。すなわち、原告らは、農地の買収及び売渡処分は、被買収農地が農地としての適格性を失うことを解除条件とするものであると主張するが、一般に行政処分がいつたん適法かつ有効になされたときは、それに基づき新しい法律秩序が形成されて行くので、行政処分がなされた後に、事後の事情によつてその効力を失わしめることは、関係者たる国民の法律的地位を不安な状態におくことになるので、このようなことが許されるのは、法令自体にこれを明記している場合(土地収用法第二九条参照)か、法令が特に条件を付すことを許容している場合(農地法第三条、第二〇条参照)又は自由裁量の認められている場合に、行政庁が行政処分に特にこのような条件を付した場合に限られると解すべきところ、自創法及びその関係法令上、農地の買収及び売渡処分が、原告ら主張のような解除条件付のものであることを認めた特別の規定はなく、また本件土地の買収及び売渡しに際し原告ら主張のような解除条件が付された事実もないのであるから、原告らの右主張は失当というべきである。
さらに、原告らは、自創法による買収及び売渡処分は、通常の権利移転ではなく、農地として使用耕作させる目的のためになされた信託的譲渡であると主張するが、かく解すべき法的根拠はないばかりでなく、そもそも農地の買収、売渡処分は、国の公権力の行使によつて行われる行政処分であつて、対等者間の合意によつて行われる私法上の譲渡行為ではないから、私法上の信託法理を援用して解釈することは許されない。
自創法による農地の買収処分がいつたん適法かつ有効になされると、国は当該農地の所有権を完全に取得するとともに、被買収者はその所有権を失い、以後右農地について、なんらの権利をも保有するものではない(自創法第一二条参照)のであつて、買収及び売渡処分後に、当該農地の事情に変更が生じたとしても、国のなんらかの意思表示を要せずに、売渡しをうけた者が当然に所有権を失つたり、被買収者がその所有権を回復したりすることはあり得ないのであるから、これを前提とする原告らの主張は失当というべきである。
三、原告らの三の主張は争う。原告らは、被告らの本件土地の売買代金の取得が不当利得になる理として、(イ)本件土地の転用転売によつて、買収処分当時予期された出捐の原因ないし目的は不到達に終り、あるいは消滅したので、本件土地の交換価値中少くとも農地としての価値をこえる部分については公平の理念からみて、それが原告らから被告らに移動することを正当視するだけの実質的、相対的理由がない、(ロ)農地の買収処分は、農地としての利用権を旧地主から奪つたものであり、宅地としての利用権を奪つたのではないから、買収農地が宅地となつた場合には、旧地主は顕在利用権者となり現地主は潜在利用権者として眠れる権利者となり、あるいは、現地主と旧地主の共有関係となると主張する。しかし、すでに述べたように、自創法による本件土地の買収処分が適法かつ有効に行なわれた以上、国は完全な所有権を取得し、以後、原告らは右土地についてなんらの権利も有しないのである。そして、被告ら又はその被相続人らは売渡処分によつて右土地の完全な所有権を取得したものであつて、原告ら主張のごとく、同一不動産について農地としての所有権と、宅地としての所有権が併存することは現行法の解釈上ありえないのである。
また、自創法の買収対価が買処分当時の農地としての客観的経済価値――交換価値――を基準として算定されたものであることは原告らの主張するとおりであるかもしれないが、だからといつて、このことが、買収処分後においても被買収者が当該農地について潜在的に宅地としての利用権を保有していることの根拠となるものではない。憲法第二九条第三項は、公用収用時における私有財産の客観的価値を斟酌して正当な補償を支払うべきことを要求しているにとどまり、収用後に起りうべき事情変更に伴う被収用財産の経済的な価値の変動までをも見越した上で、これを補償すべきことを要求してはいないのである。しかるところ、本件土地は買収処分当時いずれも農地であつて、当時の事情の下において農地としての「正当な補償」が買収対価として支払われている以上、原告らは右買収処分によつて本件土地の所有権を喪失し、その売渡処分によつて被告ら又はその被相続人らが右土地の完全な所有権を取得し、原告らの意思によつて拘束されることなく使用、収益、処分の権限を有するに至つたのであるから、これを住宅公団に転売したからといつて、被告らが法律上の原因なく他人の財産により利得し、原告らに損失を及ぼしたということにはならないのである。したがつて原告らの右主張は失当というべきである。
四、原告らの四の主張は争う。原告らは、自創法第二八条、農地法第一五条第八〇条に基づき本件土地の優先買受権もしくはその期待権を有することを前提として、被告ら又はその被相続人らが、自創法によつて売渡しをうけた本件土地の耕作をやめ、これを宅地に転用転売して、売買代金を取得することは、原告らが買収の対価相当額をもつて、他に優先して買い受けることができた本件土地、すなわち原告らに帰属し得べき財産により不当に利得し、原告らに損失を与えたと主張するが、本件土地が原告らに帰属しうべき財産であるということはできない。すなわち、自創法第二八条ならびに自作農創設特別措置法及び農地調整法の適用を受けるべき土地の譲渡に関する政令(昭和二五年政令第二八八号、以下強制譲渡令という。)第二条第一項第三号においては、創設農地について農地の売渡しをうけた者が、使用目的を変更し、農地を耕作の業務の目的に供することをやめた場合には、政府が買取権を行使し、又は強制譲渡の対象とすべきことを規定されていたが、農地法第一五条は、単に創設農地について、その所有者及びその世帯員以外の者が耕作又は養畜の事業に供したときは、国がこれを買収する旨規定しているにとどまり、創設農地を転用転売することを禁止していない。このように、自創法の施行によつて農地改革の一応の目的が達成されたことを契機として、恒久立法として制定された農地法は、社会経済事情の変遷にしたがつて創設農地についても転用転売ができることを明らかにし、この点について創設農地とその他一般の農地との区別を法文上設けることをせず、自作農創設の目的に著しく反する創設農地の無断転貸等についての制裁規定たる第一五条を存置するに止めたのであるが、いずれにしても自創法第二八条農地法第一五条等の規定は、自作農創設の目的を達成せんがため、さらにこれを農地に精進する者に売り渡すために国に創設農地の買収権を認めたものであつて、原告ら主張のごとく、被買収者に優先買受権を付与したものではないのである。
また、農地法第八〇条は、自創法又は農地法によつて買収した農地等で、同法第七八条第一項の規定により国有地として農林大臣が管理している土地等について適用されるものであつて、自作農創設の目的をもつてすでに売り渡されてしまつた土地については適用されるものではないから、原告らがこれらの規定によつて本件土地の優先買受権又はその期待権を有するものでないことは明らかである。のみならず、もし仮に原告ら主張のごとく、創設農地についての転用転売契約が農地法第五条の許可の有無にかかわらず無効であり、国は同法第一五条を類推して本件土地を買収すべきであるとするならば、被告らは住宅公団に対して本件土地の売買代金を返還すべき債務を負担している筋合である。原告らは、この点を考慮して本件土地の売買に同意するというのであるが、原告らがこのような同意をなす権限を有する根拠が明らかでないばかりでなく、原告らの同意によつても、農地法上無効とされた売買契約が有効になることはあり得ない。すなわち、原告らは、この場合、本件各土地の所有権が原告らに当然復帰することを立論の根拠としているわけではないから、本件各土地の所有権に基づくものでないことは明かであるが、仮に所有権に基づくものとしても、被告らは原告らの代理人として本件土地の売買をしたものではないから、民法第一一六条、第一一三条等の規定の適用の余地がなく、原告らの同意(追認)によつて右売買が有効になることはないのである。したがつて、被告らが原告らに不当利得の返還義務を負う理由はないので、この点に関する原告らの主張もまた失当である。
五、原告らの主張の五の事実は否認する。すなわち、原告ら主張の慣習法ないし事実たる慣習なるものがいかなる内容のものであるか、その主張からは必ずしも明瞭ではないが、そもそも行政庁が法令に基づき許否の行政処分をなすに当り、法令に規定するところと異なる取扱をすることは本来許されないところであるから、行政の分野において法令と牴触し、又は法令の定めない事項について慣習法ないし事実たる慣習の成立する余地は存在しないのである。のみならず、仮に原告ら主張のような慣習法ないし事実たる慣習が存在するとしても、このような慣習は農地法の趣旨に反するものであつて、創設農地の転用転売の当事者をなんら拘束するものではなく、またその効力を左右するものではないから、原告らの主張は失当である。
(証拠関係)<省略>
理由
一原告ら主張の一の事実は、別紙買収物件目録番号13(イ)の物件の地積の点を除き、いずれも当事者間に争いがない。
そこで、以下争点について、逐次判断する。
二原告らの二の主張について、
原告らは、自創法による農地の買収及び売渡処分(原告らは農地の売渡は公法上の契約であると主張しているが、これが契約であるか、行政処分であるかは本件では別に重要なことではない。)は、買収農地が農地としての適格性を失うことを解除条件とするものであるか、あるいはまた、農地として使用耕作させることを目的とする信託的譲渡であるから、売渡しをうけた者が耕作の意思を放棄し、当該土地が農地としての適格性を喪失したときは、買収及び売渡処分は当然にその効力を失い、右土地の所有権は被買収者である旧所有者に復帰すると主張するがその成法上の根拠は何もない。
原告ら援用の憲法第二九条第三項は、私有財産が、公共目的のために収用しうることと、被収用者に対し正当な補償を支払うべきことを定めたにとどまり、これを超えて、原告ら主張のごとく、公共目的が喪失した場合に被収用財産の所有権が当然に被収用者に復帰することを定め又はこれを復帰せしめるような措置をとるべきことを国に義務づけているものとは解しがたい。
自創法及び農地法の規定を検討しても、農地法第八〇条が買処分後、未だ売渡処分をしていない農地等につき、農林大臣がこれを自作農創設等の目的に供しないことを相当と認めたときに、被買収者又はその一般承継人にこれを売り払うべきことを規定している以外、原告ら主張のような場合に、被買収者が当然に所有権を回復する旨を定めた規定はどこにもないのであつて、むしろ(1)自創法第二八条、農地法第一五条、第三六条によると、買収農地の売渡しを受けた者が自作をやめ、あるいは売渡しを受けた者及びその世帯員以外の者が耕作しているような場合には、国がこれを買い取り又は買収し、さらに自作農として精進する見込のある者に売り渡すことにしていること、(2)農地法第四条、第五条が目創法によつて売渡しを受けた農地についても、これを農地以外のものに転用し、または転用のために所有権を移転することを禁止していないこと、(3)自創法第一二条、第二一条、農地法第一三条、第四〇条等が買収及び売渡の効果としての所有権の移転になんらの留保も付していないこと等を考えあわせると、自創法又は農地法による買収によつて、国は無条件でかつ完全な農地の所有権を取得し、またその売渡しによつて、買収農地の所有権は無条件でかつ完全に売渡しを受けた者に移転するものと解するのが相当である。
してみると、原告らの右主張は失当というべきであるから、これを前提とする原告らの請求はその余の点を判断するまでもなく理由がないこと明らかである。
三原告らの三の主張について、
さらに、原告らは、被告らの本件土地の売買代金の取得が不当利得となる理由として、(イ)本件土地の転用転売によつて買収処分当時予期された出捐の原因ないし目的は不到達に終り、あるいは消滅したので本件土地の交換価値中、少くとも農地としての価値を超える部分については、公平の理念からみてそれが原告らから被告らに移動することを正当視すべき実質的、相対的理由がない、(ロ)農地の買収処分は、農地としての利用権を旧地主より奪つたものであり、宅地としての利用権を奪つたのではないから、買収農地が宅地となつた場合には、旧地主は宅地の顕在利用権者となり、現地主は潜在利用権者として眠れる権利者となり、あるいは現地主と旧地主の共有関係となると主張するので、この点について判断する。
なるほど、本件土地が自作農の創設又は土地の農業上の利用増進という公共目的達成のために強制的に買収されたものであり、その買収の対価として交付された金額が、農地としての価格を基準として算定されたものであつたことは原告ら主張のとおりである。したがつて、買収土地の売渡しを受けた者が、右土地を農地以外のものに転用する目的で転売し、高額の代金を取得するということは、旧地主の立場からいえば納得しがたいものがあるかもしれない。
しかしながら、民法上の不当利得が成立するためには、利得者が単に利益をうけたというだけでは足らず、「法律上の原因なくして他人の財産又は労務に因り利益を受け、それがために他人に損失を及ぼした」ことを要件とするものであることはいうまでもない。しかるに、前述のように、本件土地の所有権は無条件でかつ完全に国に移転し、さらに売渡処分によつて被告ら又はその被相続人らは無条件でかつ完全に右土地の所有権を取得し、以後原告らは、本件土地についてなんらの権利をも有するものではないのであるから、被告らが本件土地を転用転売し、その代金を取得したとしても、それが原告らの損失に基づくものということはできない。本件土地の買収対価として原告らに交付された金額が、前述のように当該土地の農地としての価格を基礎として算定されたものであるとしても、これは、本件土地が買収当時農地であり、農地として買収されたものである以上、当然のことであり、これによつて、買収処分が農地としての利用権のみを旧地主から奪つたものにすぎないと解することはできず、また買収処分後も本件土地の潜在利用権ないし価値が、旧所有者である原告らに残存するものと解すべき根拠はない。いわゆる創設農地の売渡しを受けた者が該農地を宅地に転用転売し、高額の代金を取得するというようなことは、買収処分当時予想しなかつたところというべきであり、かかる高額の農地の売買価格というものは、主として買収後の経済的、社会的事情の変化に伴つて、生じたものであつて、転売者がこれによつて利得することがあつたとしても、これらが原告らの損失と因果関係があるものでないことはいうまでもない。原告らの右主張は独自の見解として採用しがたい。
したがつて、右主張を前提とする原告らの請求は、その余の判断をするまでもなく、また失当というべきである。
四原告らの四の主張について、
次に、原告らは、自創法第二八条、農地法第一五条、第八〇条等により本件土地の優先買受権ないしその期待権があることを前提として、被告らの右売買代金の取得が不当利得であると主張する。
そこで、まず原告らが、かかる本件土地の優先買受権ないし、その期待権を有するかどうかについて判断するに、農地の買収及び売渡処分後、売渡しを受けた者が耕作の意思を放棄し、農地がその適格性を失い又は自作農の創設等の目的に利用されない状態が生じたような場合に、旧所有者にその所有権を回復する途を与えるかどうか、又いかなる方法でこれを実現させるかは、立法政策の問題であるが、自創法、農地法等は、かか場合に旧所有者に優先買受権ないしその期待権を与えるものとはしていない。農地法第八〇条は買収処分後、まだ売渡処分をしていない農地等につき、農林大臣がこれを自作農創設等の目的に供しないことを相当と認めたときに、被買収者又はその一般承継人にこれを売り払うべきことを規定しているが、右規定は、土地収用法第一〇六条と異なり、買収農地が小作人等に売渡されてしまつた後は、たとえそれが第三者に転用の目的で転売された場合であつても、元の所有者にその売払請求権を与えるというような規定ではない。また、農地法第一五条は、自創法又は農地法によつて売り渡された農地等を、その所有者及びその世帯員以外の者が耕作し、養畜の事業に供したときは、これを国が再買収することにしているにすぎず、農地法第四条、第五条は、創設農地についても転用転売を禁止していないのであるから、いわゆる創設農地といえども、都道府県知事又は農林大臣の許可を受ければ、適法有効に転用のため転売しうるものというべきであり、また、仮に創設農地が転用転売された場合において国が農地法第一五条により右土地を再買収することができるとしても、本件土地が未だ再買収されていない以上、原告らは右土地の売払いを受けることができないものというべきである。したがつて、原告らが本件土地の売払いを受ける権利又はその期待権を有しないことは明らかである。原告らは、信義誠実の原則に照らしても、自創法による買収農地の売渡しを受けた者が耕作をやめ、当該農地について農地としての適格性が喪失せしめられた場合には、政府は農地法第一五条、第一六条、第八〇条を類推して、右土地を買い戻した上、これを被買収者に返還すべきであると主張するが、信義誠実の原則が私法の分野ばかりでなく、公法殊に行政法の分野においてもその適用があることは原告主張のとおりであるとしても、前述のように、農地法第四条、第五条が創設農地についても許可があれば転用転売しうることを認めており、また同法第一五条、第八〇条の規定の趣旨が前記のとおりであり、同法第一六条が単に農地等の所有者の申出による買収を定めたものにすぎない以上、これらの規定を類推しても、原告ら主張のように、国が本件土地を被告らから買収して、原告らに売り払うべきものと解することはできないものというべきである。以上のとおりであるから、原告らが本件土地の優先買受権ないしその期待を有することを前提とする原告らの請求は、その余の点を判断するまでもなく失当というべきである。
五原告らの五の主張について、
原告らは、いわゆる創設農地を転用転売する場合には、一定のはんこ料を支払つて、旧地主の同意を得、かかる同意がなければ農業委員会において転用転売の許可をしないという慣習法ないし事実たる慣習があると主張する。証人地野一郎、住吉健吉、下田忠七の各証言及び原告島崎正治の本人尋問の結果によると、本件土地の所在する東京都北多摩郡久留米町地方には、当時原告ら主張のような慣習があつたことを肯定するような供述があるが、これらの供述は後記証拠に照らしにわかに採用しがたい。むしろ、成立に争いがない乙第一号証の一、二、第二号証、第三号証の一ないし三、証人番場憲隆、客内信平の各証言及び被告石塚政寿本人尋問の結果を綜合すると、次のような事実が認められる。すなわち、東京都の人口増加に伴い、昭和三二年ころより近郊農村への宅地の進出が目立つようになつたが、久留米町地方もその例外ではなく、昭和三四、五年ころから急速に宅地化が進行した。そして、いわゆる創設農地を宅地に転用転売するような事態も生じたが、地価が高騰し、転売代金が高額であつたため、これらの土地の旧所有者の間に不満が生じ、転売契約に異議を述べることもあつたので、かかる紛争をさけるために、創設農地を転用転売しようとする者の中には、事前に、あるいは事後に線香代と称して旧所有者にいくばくかの金銭(その額は一定していない。)を与えて、その同意を求めるものもあつた。しかし同町の農業委員会としては、創設農地の転用転売を禁止する法的根拠も権限もなかつたので、そのような許可申請があつた場合にも、旧所有者の同意の有無にかかわらずこれを受理し処理していたが、他方右線香代の授受は、私人間の徳義上の問題であつて、これを禁ずる理由はなく、円満な農地行政という面からみると、事前に紛争を回避することはむしろ好ましいことでもあつたので、これを積極的に勧奨はしなかつたが、黙認していた。昭和二五年ころ、久留米町に日本住宅公団の団地を誘致することになり、それに伴つて本件土地を含む附近一帯の農地が同公団に転用の目的で転売されることになつたところ、同年八月一五日ころ、創設農地の旧所有者である訴外小山兼吉他一四名より、「崩潰農地旧所有者東京都連盟久留米支部」なる団体名を付して、同町農業委員会の委員長あてに、創設農地の転用転売については、旧地主の同意があるものに限り許可申請を受理するような取扱いにしてもらいたい旨の陳情書の提出があり、さらに昭和三六年三月一二日、原告らの一部を含む二三名の者から、同委員長あてに同様の趣旨の陳情書を提出して、創設農地を右公団に売却した者に対し、その代金の一割を下らない金額を旧所有者らに支払うよう勧奨してもらいたい旨のあつせんの申入をしたが、同農業委員会においては、その決定を留保し、なんらの処置もとらなかつた。その後同町の町長、町議会議長等が仲にはいり、旧所有者に売買代金の一部を支払うよう各部落ごとに協議したことがあるが、結局話合いがまとまらず、今日に至つた。以上のことが認められ、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。これらの事実を綜合すると、当時久留米町地方の一部には、いわゆる創設農地の転用転売の場合に、事前に、あるいは事後に線香代と称して売買代金の一部を旧所有者に支払うような事例がかなりあつたが、全体としては未だこのような傾向になかつたものというべきであるから、原告ら主張のような慣習ないし慣習法があつたものとは認められない。
してみると、右慣習ないし慣習法の存することを前提とする原告らの請求は、その余の点を判断するまでもなく、失当であること明らかである。
六 以上のとおり、原告らの請求はいずれもその理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。(裁判長裁判官位野木益雄 裁判官高林克巳)
(裁判官桜林三郎は、転任につき署名押印することができない。)
(別紙)
当事者目録
買 収 目 録
売 渡 目 録
売渡後の異動目録
計 数 目 録
<以上の目録はすべて省略>